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| 平成19年8月 初めての、、、 | |||||||||||
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広島と長崎の原爆忌、そして終戦記念日、これにあわせて広島〜長崎間を走るランニングイベントがいくつかある。2004年に三遊亭楽松師匠の長崎〜広島ピースランをサポート、それがきっかけで2005年から広島〜長崎リレーマラソンにも参加するようになった。もちろん参加・サポートするのは休日や午後休診日などが中心になる。
広島〜長崎リレーマラソンは、6日(月)に広島・原爆ドームをスタートし、9日(木)に長崎・原爆投下中心地公園にゴールする。コースは山陽道や長崎街道といった旧街道が中心。うちの診療所の近くを長崎街道が通っていたので、今回のリレーマラソン休憩所・中継点として利用してもらった。ここ数日、昼から夕立、激しい雷雨となっていたが、どのチームも快調に走っているようで、7日昼にはチーム折鶴が、夕方にはチーム和が通過していった。 |
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■ 8月8日 広島〜長崎リレーマラソン3日目:急遽、代走・初伴走
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車に冷たい飲み物や果物、タオルなどを積みこんだ。この日はサポートだけの予定、14時に出発して佐賀へと向かった。この日は快晴、じりじり焼けるような強烈な日差しでかなり暑くなった。武雄北方ICで下り、北方町へと逆走する。北方支所近くでチーム和の柳川さん・佐藤先生とすれ違い、Uターンして運動公園に戻り二人を待った。しばらくして二人がやって来た。そこで佐藤先生から代わる?と聞かれ、迷わずハイと答えたが。
実は今まで伴走をしたことがない。相手はアトランタ・パラリンピック金メダリスト。務まるだろうか。たすき代わりの鶴とお守りを受け取り、車の運転は佐藤先生にお願いして16時15分にスタートした。まだまだ日差しが強く、ちょっと走れば汗が噴き出す。伴走され慣れているのだろう、何とかスムーズに走れた。というより何となく伴走者の方が引っ張られている感じだった。分かり難い地図で変な道に迷い込んだりしながらも、1時間弱で武雄温泉に到着して山口さんにたすきを渡し、何とか無事に初伴走を終えた。 武雄温泉からは楽松師匠を助手席に乗せ、サポートに回ったが、他のチームは見当たらず、チーム和のランナーに付いて移動した。武雄温泉からR34号経由で嬉野までが山口さん、その後、大村までが山田さんとなっていた。19時過ぎに、嬉野でランナー交代、その後、俵坂峠・千綿・松原でサポート、時に逆走してランナーを迎えに行って一緒に走ったりした。23時、サポートを終え、帰途に就いた。 |
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8月9日に長崎にゴールしたリレーマラソン一行のうち、楽松師匠だけは折り返して広島へ向かわれる。例年、その長崎〜広島ピースランをサポートしたり併走したりしていたが、今年は富士山を登ることになった。
子供の頃、千葉と東京に住んでおり、空気の澄んだ日は遠くに富士山が見えていた。しかし、なぜか登ったことはない。3000m級の山は小学校3年の時に西穂高・独標(2909m)、大学1年の時に白馬岳(2932m)を登っているが、3000mを越えたことはない。 同行する仲間に聞いたら、5合目までバスなのでハイキング感覚ですと言う。しかし知り合いのアウトドアショップ・オーナーに聞けば高山病対策に7-8合目で一泊、水を十分持っていけ、携帯酸素の他に飲む酸素、ウェアは軽くて断熱性のある物、トレッキングポール必須、等々話を聞けば聞くほど不安になって来る。アドバイスに従い、30Lのリュック等を購入した。軽いリュックだったが、2Lの給水タンク、さらにカメラ(一眼レフ、デジカメ)や着替えで、装備は10kgになった。交通費込みで10万円超の出費も痛かった。ちなみに靴はトレールラン用のLA SPORTIVA Rajas。2台のカメラで撮った写真は富士山御来光写真館2007に載せていますので、併せてご覧下さい。 11日、13時に仕事を終え、北九州空港から羽田へ飛ぶ。羽田空港で腹ごしらえ、19時、待ち合わせ場所の新宿へ。新宿から19:50発の五合目行き直行バスに乗る。22時過ぎには河口湖口五合目に着くのである。便利。その五合目行きバスは4台、全て満席、夏山シーズンの真っ只中なのである。五合目に着くと、大量の登山客がバスから降りてきた。殆どはさっさと登山道へ向かったが、ここ五合目で標高2305m、高地に馴らすためしばらくぶらぶらしていた。気温15℃、別天地。そして23時、登山開始。 五合目から六合目はほぼ平坦、六合目を過ぎて本格的な上りになる。序盤なのでまだまだ余裕。下界には富士吉田の街明かり、見上げれば登山客のライトが連なり、きれいだった。いつしか木は無くなり、ゴツゴツした大きな岩の急斜面となってきた。手も使って登る。少し頭が痛くなってきた。それにしても登山客が多い。何度も立ち止まる。特に山小屋周辺は登山客でごった返し、なかなか前に進めなかった。AM1時、七合目・鳥居荘2900mで小休止。 七合目を過ぎると小さな火山礫の斜面となる。傾斜は緩くなったが、ズルズル滑って登りにくい。立ち止まったり寝ころんだりする登山客も多くて、はっきり言って邪魔。その間を縫うように登っていく。寒くなってきたので、4枚重ね着した。高度を増すに連れ直ぐ息が上がるようになり、何度か携帯酸素を吸った。それでもひどい高山病の症状が出なかったのは、渋滞してゆっくり登ったせいかもしれない。AM2時前、八合目・太子館3100m着。さらに1時間で元祖室3250m、本八合目・胸突八丁・富士山ホテル3400mには3時半過ぎに着いた。風が冷たい。立ち止まっているとどんどん体が冷えてしまう。 AM4時過ぎ、東の空が明るくなってきた。かすかに山中湖が見える。その時、東の空から細長い月が昇ってきた。夜明けの空に月、なんとも幻想的な光景だった。大渋滞でなかなか動かないので、岩にカメラを固定して月の写真を撮った。AM4時半、八合五勺・御来光館3450mに到着。山頂での御来光を諦め、御来光館の少し上で御来光を待つことにした。だんだん空が明るくなって来る。待つこと15分、地平線から太陽が顔を覗かせた。空はきれいに晴れ渡り、麓は雲海に覆われていた。素晴らしい御来光だった。 さて登山再開、と思ったら前がつかえて全く動かない。しかたなく下山道へと迂回した。小さな砂礫の道、これまたズルズル滑って登りにくい。トレッキングポールを両手に持ち、じわじわと登る。そして6時15分、河口湖口・須走口山頂に着いた。人をかき分けながら富士浅間大社東北奥宮・久須志神社に行き、お守りを買った。少し吐き気がしたので、酸素を吸いながら一休み。 AM7時、反時計回りでお鉢巡りへ。目指す剣ヶ峰3776mはもう目の前。足が軽くなった感じ。途中でランパン姿のランナーとすれ違う。富士登山競走のトレーニングだろうか。7時半、剣ヶ峰直下に到着。階段を上った数メートル先が日本最高峰。しかし、順番待ちの行列がズラーッ!。おとなしく並んで30分、ついに日本最高峰剣ヶ峰3776mに立った。他の登山客と順番に写真を撮って直ぐに下山開始。2時間ほどで河口湖口・須走口山頂に戻ってきた。ここからは先ほど苦労して登って来たブルドーザー道を一気に駆け下りる。上から眺めると、大勢の登山客が駆け下り、下山道に沿って砂煙の帯ができている。夏山シーズンだけで2万人の登山客が訪れるらしいが、山の形が変わるのではないかと思えるくらい。でも楽しい。1時間ほどで一気に七合目まで下りたが、目や鼻・耳に砂が入り込み、全身砂埃で真っ黒だった。そしてAM11時半、無事、河口湖口五合目に戻ってきた。 バスで河口湖に下山、タクシーでふじやま温泉へ行き、砂埃をきれいに落とした。電車で東京に戻り、日没間際に羽田空港着。空港ターミナルビル屋上に上がり、しばらく富士山を眺めていた。 |
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先月の戸ノ上山〜足立山、先週の富士山と、最近山登りばかりでまともに走っていない。今週は、多治見市と熊谷市で40.9℃の最高気温の日本記録を更新するなど、厳しい暑さで、走っても練習にならない。こんな時は夜中走るに限る。翌日が朝から仕事なので迷っていたが、北九州ウルトラRCのナイトランに顔を出した。コースはいつもの黒崎から小倉経由、道原から麻生林道を越えて黒崎に戻る55km。これだけの距離を走るのは、春の同じナイトラン以来。翌日は朝から仕事、無理せず途中で引き返すつもりで参加したのだった。
18日、夜22時にJR黒崎駅をスタート、まずは小倉駅へ向かう。暑い。いつもよりちょっと遅れて小倉駅に着いた。ここで数人が合流。飲み物を買って0時にスタート。 いつもと違って最後尾を走る。三萩野で3号線へと曲がる予定を忘れ、そのまま付いていって片野へ。さらにそのままR322を南下、徳光まで来てしまった。ここから先、道原から林道へと入っていく。タクシーは通らない。引き返すなら今のうちだが、パンと缶ビールを買って一休み、みんなと一緒にスタートした。しかしペースは上がらない。相変わらず最後尾をのろのろ走り、何とか道原着。上り勾配がきつくなり、歩くことが多くなった。林道入口でいつものように2グループに分かれての集団走となったが、今日は後方集団に入った。林道の上り、歩いたり走ったりしながら進むが、不思議なことに、いつもここまで来ると何となく帰り着けそうな気がしてくる。もちろん先はまだまだ長いが。1時間ちょっとで林道を走り終え、AM4時、田代側に出た。田代の自販機前で休憩、あと2km上って畑のトンネルを越えれば何とかなる。5時過ぎ、畑観音に着いて一安心、顔を洗いに行ったら、鼻血が出始めた。せっかくここまで走ってきたというのに。畑貯水池の堰堤から立場茶屋銀杏屋へ行くというメンバーと別れ、一人で自宅に向かった。鼻血が気になりバスに乗ろうかと思ったが、最後まで走って、いや歩いて、9時間10分で帰り着いた。 |
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■ 8月31日 玄海100km、締切ギリギリにエントリー
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18-19日のナイトランの後、疲れが出て時々鼻血も出て、結局殆ど走らなかった。
31日は玄海100km申し込みの締め切り日。一昨年、途中で鼻血が出て100km初のリタイヤ。昨年は台風直撃で大会が中止となり、今年こそはと思っていた。しかし、5月の月間ゼロなど、殆ど走れておらず、今年は全く自信がなかった。一時はスタッフに回ることも考えたが、結局最終日に申し込んだ。いくつものアップダウンがある玄海のコースだが、厳しいアップダウンを越えてくると目の前に玄界灘が広がる、とにかく景色が良い。参加費も安い。どこかエントリーしないと走ろうという意欲が湧いてこないという困った状況でもあったのだ。行けるところまででいい、でもせっかく参加するなら少しでも長く走れるようにと、アーリースタートの3時で申し込んだ。 |
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| 今月の記録 |
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月別ランニング記録 |
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