三代目走るウルトラ飲兵衛のランニングダイアリー2005

平成17年9月 今年も100km連チャン−−−玄海&秋田内陸
■ 9月4日 玄海100km・勝浦浜海岸清掃
 今年も玄海100kmUM恒例、勝浦浜の海岸清掃が大会2週間前に行われた。参加したのは玄海100kmUMスタッフやランナーなど31人。用意されたゴミ袋100枚がなくなるまでの約2時間、塩浜側から約2kmゴミを拾って歩いた。今年、岡垣町ではウミガメの誕生が確認されたが、ウミガメ保護のため、毎週地元の方が海岸清掃を行っているそうだ。また大きな台風が接近していないためもあってか、ゴミの量は昨年より少ないように感じた。気がかりなのは台風、大型の台風14号が接近しつつあり、直撃を受けるとゴミの山になってしまうのかもしれない。
勝浦浜海岸清掃

31人が参加、用意したゴミ袋が
なくなるまでゴミを集める

清掃後の昼食
まだ晴れていた
勝浦浜〜成田山マラニック

海は大荒れ(shinakoさん)

叩きつけるような雨(実生君と滝川君)

4日14時の台風14号 935hPa
気象庁気象衛星画像

鮨屋台で打ち上げ
 
■ 9月4日 晴のち土砂降り・勝浦浜〜成田山逆走マラニック
 海岸清掃が終わって、12時過ぎにスタート。玄海100kmのコースを逆走し、成田山を越えて波津までの約20kmを走る。マラニック参加者は14人だが、車2台をゴール地点に移動するため、shinakoさんとは八幡屋からスタートしてメンバーと合流するまで逆走した。スタートした時点でまだ晴れておりかなり蒸し暑かったが、台風14号の影響で海は荒れていた。鐘崎に入って、早くも滝川君と合流、そのままさつき松原まで走り、最後尾の西田さん等と合流してからUターンした。鐘崎に戻って来て缶ビールを1本、ところがこの頃からぽつぽつと降り始め、間もなく土砂降りとなった。玄界灘沿いでは、強い向かい風とともに叩きつける大粒の雨が痛かった。成田山をショートカットして真っ直ぐ波津に向かっても良かったのだが、先週、トコロテンを食べ損ねたので、予定通り成田不動尊へ向かった。先頭グループを追って長い上り坂をshinakoさんと二人で一気に上った。24分で登り切ったが、さすがにきつかった。売店に飛び込み、早速トコロテンを頼む。ところが先頭グループの姿がない。売店のおばちゃんに聞いたが、どうやら素通りしたらしい。Telすると既にゴールして八幡屋で待っているとのこと。ゆっくりしたかったが、急いでトコロテンを食べて、波津へと向かった。この土砂降りのために予定より30分早くゴール、ゆっくり八幡屋の風呂に浸かり、鮨屋台で食事をしてお開きとなった。
■ 9月6日 台風の目を走る?
6日20時の台風14号 970hPa
北九州市付近のN33.55、E130.40
気象庁気象衛星画像
 思えば昨年もちょうどこの日だった。玄海100kmUMの2週間前に海岸清掃があり、その二日後の火曜日に台風18号の直撃を受けた。そして今回もまた海岸清掃二日後に台風14号がやってきた。大型で強い勢力でコースも似ていた。午後から休診にして早めに帰宅。夕食の支度をしてビールを飲んでいた。ところが18時を過ぎた頃から風が弱まり、20時頃には雨・風ともに止んだので走りに出た。
 台風の目を走る。正確には台風の目ではなく、台風の中心近く。所々折れた木の枝が散乱、後半は吹き返しの西風が吹き始めたが強い風ではなく、普通に走れた。
 しかし雨の中を無理して走ってばかりいたからだろう、風邪でダウンすることになった。
■ 9月17日 広島−長崎リレーマラソン報告会
 玄海まで1週間という9/12、台風14号の時に引いた風邪がこじれ、ついに熱を出してダウンした。熱は何とか下がったもののとても走れるような状態ではない。14日に走ってみたが、咳と息切れと吐き気で、5km走るのがやっとだった。そして16日になって鼻血まで出始めた。玄海はキャンセルするつもりだった
 玄海100kmの前日9/17に広島−長崎リレーマラソン報告会が開催されることになり、楽松師匠も参加されることになった。せっかくなので北九州ウルトラRCメンバーに声をかけ、16日にとり正で一緒に食事をすることにした。走る気力はなくても飲む元気はあった。楽松師匠が玄海に飛び入り参加されるとのことで、DNSはキャンセル、自分も行けるところまで行こうと決めた。
 9/17、楽松師匠を連れて、夕方津屋崎の民宿よし田へ。越田さん、行広さん、横ちゃん、國府さん等、リレーマラソンメンバーの他、辻本さん等も加わって、賑やかに飲んだ。体調を考えて少しは自重すればいいのだが、アルコールの誘惑には弱い。22時過ぎ、2Fに上がったが、海岸で遅くまで騒いでいる者がいて、うるさくて寝付けなかった。
広島−長崎リレーマラソン報告会

重たいPC+プロジェクターを持参された
越田さん

説明会の後も、遅くまで飲む
國府さん、辻本さん、稲畑さん
■ 9月18日 鼻血でリタイヤ−−−玄海100kmウルトラマラソン
玄海100kmウルトラマラソン・鼻血リタイヤの巻
玄海100kmUM

今年もヒガンバナが満開
詳しくは玄海100km・鼻血リタイヤの巻
 AM2時過ぎに目が覚め、AM3時組の見送りに宮地嶽神社へと向かった。気温は26℃、かなり蒸し暑い。参加者の約1/3がAM3時組とすっかりアーリースタートが定着した感じ。見送ってからよし田に戻ると、月明かりに照らされた海が幻想的だった。朝食を食べ、4時半、スタート地点へ。
 病み上がりでアップダウンの厳しい玄海、暑さとの戦い、今の体調で完走できるほど甘くないことは、自分がよくわかっていた。DNSしようかとも思ったが、取り敢えず50km走ってエイドを手伝いますと言って、スタートした。
 走り出せば、体も軽く、結構行けるかなと思ったが、それも10kmまでだった。見坂峠を越えたところで、5分差スタートの光安さんに早くも抜かれ、ついて行こうにも足が動かない。そして12km過ぎ、怖れていた鼻血が出始めた。鼻にティッシュを詰め、止まるまでしばらく歩いた。
 脇田温泉に着く頃、何とか鼻血も止まったが、暑さも加わりすっかり戦意喪失。前半の難所・間夫峠はラン&ウォークがやっと、峠からの下りも走る気になれなかった。下りきったところに田中・山元組のサポート車があり、「リタイヤ宣言」。もちろん50kmまでは行くつもりだったし、一人でのんびり行きたいだけのことだった。
 鼻血が止まって走り出せば、まだまだ足は動く。しかし32km、力丸ダム付近で、再び鼻血が出た。今度はなかなか止まらない。走るのを諦め、35kmの移動サポートに到着。ここで止めようかと思ったが、横ちゃんと話していると走らなければいけないような気にさせられ、再びのろのろとスタートする。脇野橋42.2kmには6時間10分で到着、コンビニで缶ビールを買う。45kmの移動サポートからは、楽松師匠等と最後尾3人組でトヨタ九州50kmエイドまで歩くことにした。走っても長く感じるこの区間、全て歩いて1時間10分かかった。エイドでは山下さんの出迎えを受けた。ちゃんと3人分のソーメン・豆腐が用意されていた。当初目標の50kmまで辿り着き既に8時間が経過したが、到着は時間内だったので、一人で赤間へと向かった。
 暑かったが、それでも赤木峠はちゃんと走った。峠からの下り、山下さんの看板はずしを手伝う。65kmの関門に間に合わないのは確実だったので、田久桜公園のベンチで一眠り。途中、宗像・クリエイトのコンビニで一人のランナーに会う。夜中0時までかかってでも最後まで行くというその根性。見習わないといけない。地蔵峠下65kmエイドに10時間17分で到着し、今年の玄海100kmが終わった。ところがエイドは撤収中で収容車がなく、地蔵峠を越えることになった。70km、吉木小学校でサポート車に乗り込んだ。
 萩往還のリタイヤ以降、諦めが早くなった気がする。1週間後の秋田で、そのリタイヤ癖が出ないといいのだが。
■ 9月23日 悪あがきの三瀬練習会&救命講習会
 玄海の1週間後に秋田と、去年と同じ100km連チャンのつもりだった。しかし、病み上がりで最初からつまずいた。一週間、ゆっくり休もうかと思ったが、不安で仕方がない。
 そこにたまたま三瀬でやまびこジョギングクラブの練習会があると連絡があり、走りに行った。当日はまず、三瀬村ざっといかんばい林道マラソンの幟立てから。30分くらいで終わるという話だったが、100本を越す幟の準備にたっぷり3時間かかった。昼からは救急救命の講習会が予定されていたが、せっかく来たので走りに行った。林道マラソンのコースを吉野山キャンプ場まで往復した。戻ってきたら既に講習会は始まっていた。これまた時間を間違えて教えられたようだ。
 マラソン中の事故は後を絶たない。ランナー自身の自覚も必要だし、大会主催者側も救急時の体制を整えておくことは極めて重要なことではあるが、多くの参加者が救命処置の知識・手技を身につけておけばもっと救命率は上がるのではないだろうか。ということで本日の救命講習会参加となったのである。もちろん自分にとっては、手技が錆び付いていないか確認する意味もあった。救急の場から離れて十数年になるが、何とかスムーズに気道確保・人工呼吸・心臓マッサージをすることができて、一安心。
三瀬救命講習会

救急隊員のデモ

林道マラソンの主催者・佐藤先生
■ 9月25日 鼻血にめげず自己ベスト−−−秋田内陸100km
秋田内陸リゾートカップでリベンジの巻
秋田内陸100km

夕日に映えるゴールの大太鼓(鷹巣)
詳しくは秋田内陸100km完走記
 渋谷小学校時代の同級生からメールが届いたのが今年の2月。35年ぶりだった。弘前市に住んでいるとのことだが、秋田内陸のゴール・鷹巣からそう遠くない。こうして2年連続、秋田遠征が決まった。すると大館DOクラブ・東北DOだ!メンバーがクックオフを開催してくれることになった。走るのとダッチオーブンとどっちがメインかわからなくなったが、おかげで楽しい東北遠征となった。
 前日、いつものように昼まで診察して、15時過ぎの飛行機で福岡から仙台へ。台風17号が接近し、冷たい雨が降っていた。仙台から秋田新幹線で大曲へ。この日は青馬会RCメンバーとともに大友さんのご実家にお世話になった。
 大会当日、目が覚めると雨、それも土砂降り。ビニール袋を用意して角館へ。雨は降り続き、寒くてガタガタ震えが止まらない。交流センター内で受付を済ませた後は、中で記念撮影をするなど、寒いので誰も外に出ようとしなかった。スタート5分前にゲート前で記念撮影して、AM5時にスタートした。
 前半は冷たい雨に悩まされ、ペースが上がらなかった。気温は15℃から13℃、エイドで休むたびに、体が冷えていく。大覚野峠まで歩かずに走りきったものの、タイムは昨年並み、今年のにちなんおろちより悪いくらいだった。
 約5時間半で阿仁50kmに到着。ようやく雨も小降りになってきた。しかしその時、、、また鼻血が出始めた。ただ気温が低かったのが幸い、玄海の時ほどひどくはならなかった。64km、北緯40°の手前では火事に遭遇。70kmを過ぎてようやく晴れてきた。暑くなれば楽しみはババヘラアイス。雨が降り続いていたら食べなかっただろう。
 80km過ぎ、周囲に広がる田圃の中を真っ直ぐ走る道も、90km過ぎ、あきた北空港までの最後の上りもちゃんと走った。思ったほど後半の落ち込みもなく、ひょっとしたら自己ベスト?。目の前に鷹巣盆地が開けると残り4km。足は痛かったが、意地で走り続け、11時間34分でゴールした。

今月の記録 日数 距離 平均 1月からの累計
10日 268.0km 26.8km 115日 2591.5km
ランニング日記2005
1月 寝坊
  いぶすき菜の花マラソン
  貫〜とり正マラニック
2月 大村湾一周
  GEL KAYANO XI
  貫〜とり正マラニック
3月 勝負の3月
  岡の里名水マラソン
  雪の萩往還
  屋久島エコマラソン
4月 萩往還まで1ヶ月
  脊振越とさが桜マラソン
  鬼たいじマラニック
  玄海100km葉桜ラン
  宗像ユリックス24H駅伝
5月 ついに初リタイヤ
  リタイヤ・ショックとダメージ
  観覧舎マガジン11号
6月 練習量激減
  瀬板の森6時間走
  天体界道にちなんおろち
  ウルトラ二周年
7月 空梅雨のち土砂降り
  暑稽古!玄海試走会
  大濠チャリティーラン
8月 ピースラン
  広島長崎リレーマラソン
  長崎広島ピースラン
  マムシ
  カラスヘビ
9月 今年も100km連チャン
  勝浦浜海岸清掃&成田山
  玄海-鼻血でリタイヤ
  秋田-鼻血でも自己ベスト
10月 ざっといかんばい
  三瀬で予想通りワースト
  TARTHERCLUTCH
11月 走れない
  いびがわマラソン
12月 尻すぼみの一年
  また寝坊
  青島はDNS

月別走行距離

ウルトラマラソン写真館
大村湾一周UMサポート記
雪の萩往還練習記
屋久島エコマラソン80km
鬼たいじマラニック50km
玄海100km葉桜ラン
萩往還マラニック250km
天体界道にちなんおろち100km
広島−長崎ピースラン
玄海100kmウルトラマラソン
秋田内陸リゾートカップ100km

大会参加2005
いぶすき菜の花マラソン
岡の里名水マラソン
屋久島エコマラソン80km
鬼たいじマラニック50km
萩往還マラニック250km DNF
天体界道にちなんおろち100km
玄海100kmウルトラマラソン DNF
秋田内陸リゾートカップ100km
三瀬村ざっといかんばい林道M
いびがわマラソン

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