「走れることこそ平和の証」「恒久平和にゴールはありません」
広島→長崎→広島ピースラン・サポート記
2005年8月6-15日
■ 長崎〜広島ピースラン
 「走れることこそ平和の証」「恒久平和にゴールはありません」を合言葉に走る「ピースラン」。
 昨年のピースランで楽松師匠は、日本兵集団脱走事件の起きたカウラからシドニー330kmランを68時間で走り、真冬のオーストラリアから真夏の日本へ。そして炎天下の長崎〜広島ピースランに臨まれ、合計800kmを走りきったのだった。しかしこれがゴールではなかった。2005年4月、沖縄学徒隊慰霊ピースランと、その後もピースランは続いている。終わりなきピースラン、一体何がここまで師匠を駆り立てるのか。
 2005年夏。楽松師匠から広島〜長崎往復、さらに韓国を走りますと言う連絡を受けた。そのスケジュールは原爆投下の時間に合わせて8/6の午前8時15分に広島平和記念公園で黙祷して長崎へ向けてスタート、8/9の午前11時2分に長崎平和公園で黙祷して広島へとスタート、終戦の日の8/15に広島平和記念公園ゴール、8/16に韓国へ渡り、8/17にソウル独立公園・西大門刑務所歴史館からイムジン江自由の橋まで50kmを走るとなっていた。このうち、帰路の長崎→広島は7日間、サポートもほぼ決まっていたが、往路の広島→長崎は430kmを丸三日、それを当初予定していた併走を断り、荷物を背負いサポートもなく、一人で走るという。大丈夫なのだろうか。放ってはおけず、心配になって、8月7日、防府へと向かった。
INDEX 8月7日 広島→長崎:防府〜北九州
8月12日 長崎→広島:黒崎〜門司港
8月14日 長崎→広島:防府〜岩国
楽松師匠揮毫のピースランTシャツ
左手で書くと字を書くことに専念し
雑念が入らないのだとか
(左が前、右は背面)


■ 8月7日 広島−長崎リレーマラソン:防府〜北九州
 AM4時目が覚めた。ベッドの横に料理の入ったダッチオーヴン、昨日宴会の後片付けもせずに酔いつぶれたのだった。慌てて飛び起き、後片付けをしながらサポートの準備に取りかかる。大きなクーラーと車載の保冷庫に飲み物、ポリタンクは満タンにして保冷剤を入れた。7時前にshinakoさんが到着。出発前、師匠にTelしたら、防府付近とのこと。早朝に関門トンネルを通過したいと言っていたが、かなり遅れている。AM8時前にようやく出発、コンビニで氷を買って高速へ。途中でTelしたら、まだ防府?。山口南ICで出て、2号線を防府へと向かう。誰も走っている人を見かけない。気が付いたら防府市と周南市の境、椿峠まで来ていた。確認のためTelしたら、直ぐ横で携帯が鳴り、そこに師匠がいた。朝食を摂って休まれていたようだ。
 「帰りの長崎to広島ピースラン、その後のピースランinKOREAもあり、大事を取ってここで止めます」とのこと。サポートしながら一緒に走るつもりで来たのに、その師匠が走らない、どうしよう。その時、7月の玄海100km練習会で一緒になった行広さんが、別の企画で横ちゃん達と広島〜長崎を走るのでピースランのサポートができないと言っていたのを思い出した。そこで横ちゃんにTelしてみると、長府まで15kmくらいのところにいるという。早速、師匠を車に乗せ、取り敢えず長府へと向かった。
 国道2号線を1時間ほど走った宇部市内で一人の女性ランナーを発見、その先に越田信さん達のサポート車を見つけた。ようやくこれで状況がつかめた。この2005広島−長崎リレーマラソンには個人3人、チーム3組が参加、そのメンバーに行広さんや横ちゃん、マッちゃん、とみかずさんがいたのだった。記念撮影をして、行広さん・横ちゃん組を追う。途中、談合峠でランナーを発見し車を止めて飲み物を用意、やってきたのは國府さんだった。
 国道2号線をさらに西へ。ところが肝心の行広さん・横ちゃん組がみつからない。長府駅を過ぎてTelしたら、いつの間にか追い抜いていた。ランナーは旧道を、車は2号線を走ったので見つけられなかったようだ。長府から小月へとUターン、旧道に入ってようやく行広さんを発見した。師匠の伴走をする必要はなくなったし飲み物もたくさん用意してきたので、夜まで行広さん・横ちゃん・藤巻さん組に同行してサポートを手伝うことにした。そしてせっかく走る支度をしてきたのだからどこかで一緒に走ろうかと言ったら、関門トンネルから小倉北区下到津までの代走を頼まれた。自分が走っている間に小倉北区井堀の極楽湯で風呂に入り、ゆっくり休もうという魂胆のようだ。
 長府から関門人道トンネルまでは横ちゃんが走った。確か2号線を真っ直ぐ行くと言っていたよな、とちょっと疑問に思いつつも印内町交差点を2号線・関門国道トンネル方向へと右折、長府トンネルの先のコンビニに車を止め、腹ごしらえしながら横ちゃんを待った。ところがいつまで経っても横ちゃんが来ない。確認のためTelすると、9号線と2号線を言い間違えたようで、横ちゃんはちゃんと9号線から関門人道トンネルへと向かっていたのだった。慌てて引き返したが、車より早く横ちゃんはみもすそ川の人道入口に到着していた。飛び入り参加で、コースをちゃんと確認していなかったミスでした。
リレーマラソン・1:宇部〜小月

越田さんのリレーマラソンサポート車と合流

小月でゆきひろさん・横ちゃん組に合流
 14時、関門人道トンネルに入る。この区間はリレーチームだけでなく師匠とshinakoさんも一緒に全員で歩き、九州へと渡った。途中で行広さん・横ちゃん・藤巻さん組のたすき代わりのバッジを受け取った。
 14:20、めかり公園をスタート。ここからは地元だし、クラブの練習会で何度も走っており、コースは頭の中に入っている。門司港レトロを抜け、門司港駅前から国道199号線を小倉へと向かう。昨日も走っていないので疲れはなく足は軽かったが、とにかく暑い。35℃はあるだろう。せっかくの凍らせたアクエリアスも、直ぐに溶けてぬるくなった。海沿いを走る199号線は日差しを遮るところが殆どない。旧道(長崎街道)に入る手もあったが、サポート車が迷うだろうとそのまま199号線を走った。しかしその肝心のサポート車がいつまで経っても来ない。途中で大庭さん達の車が来たが、声援だけだった。門司駅を過ぎ、気が付いたら小倉北区に入っていた。小倉駅まで3kmを切ったところで、ようやくshinakoさん運転のサポート車が到着。早速、水をかぶって頭と足を冷やした。門司港からの13.4km、1時間34分で小倉駅着。
 小倉駅では電車でワープしてきたマッちゃんと再会。小倉駅から井堀までショートカットできるのだが、ちゃんとたすきを繋がないといけない。小倉城の横、わっしょい100万夏祭りの雑踏の中を抜け、正規のルートを下到津・九州栄養福祉大学前まで走る。ここからコースを外れ、みんなの待つ極楽湯へと向かった。
 下関から19.1km、暑い暑い2時間45分が終わった。早速風呂に入って汗を流し、水風呂でクーリングダウンしてから上がる。風呂の後は生ビール。18時に極楽湯を出発、下到津から行広さんが再スタートした。
リレーマラソン・2:下関〜小倉

関門人道トンネル入口でコース打合せ(下関口)

小倉北区赤坂海岸
 運転をshinakoさんに任せ、車の中で缶ビールをもう1本。18時半過ぎ、八幡西区紅梅のコンビニに車を止め、エイドを開く。そこに國府さんが到着、薄暗くなった19時過ぎに行広さんが到着して藤巻さんと交代した。携帯のバッテリーが切れそうだというとみかずさんを救援に行く途中でリレーマラソン参加のランナーとすれ違い、近くにエイドがありますよと声をかけたが、暗くて誰かよくわからなかった。後で聞いたら、越田さんだったようだ。高炉台公園近くのコンビニでとみかずさんと光安さんを収容し、黒崎までワープ。二人はここから飯塚まで走るというので、その間、楽松師匠・shinakoさんと焼き鳥とり正へ行き、とみかずさんの携帯を充電しながら食事をすることにした。
 とり正はランナーズ誌で紹介されたことのあるランナー御用達の店、今回のコースでもある長崎街道から直ぐの八幡西区茶屋の原にある。21:40、馬場山IC付近に着いたとみかずさんからTelが入り、車で迎えに行った。股ずれのためとり正でシャワーを浴びたとみかずさんはここで本日終了となったが、一緒に走られていた光安さんが唯一サポートの決まっていなかった帰路の長崎−広島ピースラン・福岡〜北九州間でサポートを申し出てくれたのはラッキーだった。この後、師匠ととみかずさんにはうちに泊まってもらい、ついでに洗濯もして、AM2時に寝た。翌日8時過ぎの電車で師匠ととみかずさんは佐賀へと向かい、再びリレーマラソンチームに合流して、8月9日、長崎平和公園にゴールされた。
リレーマラソン・3:黒崎

國府さん、マッちゃん、師匠、shinakoさん

応援に駆けつけた前村さん、大庭さん

とり正にワープ

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■ 8月12日 長崎−広島ピースラン4日目:黒崎〜門司港
 リレーチームとともに長崎入りされた楽松師匠は、8月9日12:27に長崎平和公園をスタートした。帰路の長崎−広島ピースランは、昨年同様、楽松師匠が全コースを走る。ピースラン4日目は博多を出発して門司港まで。光安さんがスタート時から、その後江口さんもサポートに加わり、この日東京から九州入りした城定さんが途中で合流した。自分は夕方まで仕事、19時からサポートすることになっていた。いつでも出られるようにと、昼頃から準備に取りかかった。昼休み家にクーラーなどを取りに帰ったが、あまりの暑さに眩暈がした。師匠達はちゃんと走れているだろうか。18時半過ぎにTelしたところ、遠賀川を渡ったと連絡が入った。楽松師匠は右脚を痛めているらしく、チタンテープを買ってきて欲しいと頼まれた。
 20時に病院を出発、3号線を博多方面に向かい、穴生橋で待機した。しばらくして師匠達が到着した。冷たいタオルで体を拭いてもらい、城定さんが師匠の足にチタンテープを貼っていく。福岡からサポートしてきた江口さん・光安さんとはここでお別れ、ここから先は北九州ウルトラRCの大庭・西田・前村・植村と品川走遊会・華田さんとでサポートする。
 記念撮影して、20時半過ぎ、門司港へとスタートした。桃園まで車を運転したが、桃園からは西田さんに車の運転をお願いして、師匠達と一緒に走った。夜になって風が涼しく走りやすくなった感じだが、師匠の足の状態はかなり悪く、殆ど走れない。ほぼ3-5kmごとにエイドで待機してもらったが、歩き通すことも多かった。昨年は到津からそのまま3号線を門司まで走ったが、途中2箇所、陸橋の階段があるのが難点だった。そこで今回は往路と同様、199号線を走ることにして、小倉城横を通り、小倉駅へと向かった。小倉駅北で日付が変わった。ここまで時速5km程度、門司港到着は2時頃か。スローペースのため、足には負担がかからず、それほど汗もかかなかった。飲んだ缶ビールは250mlを2本だけ。
 門司駅を過ぎ、残り3kmの所にエイドで待機してもらっていたがそこを師匠は素通り、いきなり走り出した。その写真を撮ろうと重たいEOS1を持って必死に追ったが、なかなか追いつけなかった。最後のスパートで、何とか2時前に本日のゴール、ルートイン門司に着いた。明日以降の打合せをして、帰途についた。小倉駅で西田さんを降ろし、若松で華田さん、その後大庭さん、前村さんを送り、AM3時過ぎにようやく帰宅。荷物を持って上がり、缶ビールを飲んだりしているうちにAM5時。シャワーも浴びずに寝た。
ピースラン4日目:黒崎→門司港

穴生橋で出迎える

チタンテープを貼る

黒崎(陣原)で福岡組から北九州組へバトンタッチ
左から前村、西田、城定、江口、大庭、楽松師匠、華田、光安

AM1時過ぎ、下関の夜景
明日はいよいよ本州へ

ゴール直前でスパート
左から師匠、華田、城定

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■ 8月14日 長崎−広島ピースラン6日目:防府〜岩国
■北九州→防府→椿峠
 AM5時起きで出発する予定だったが、前日大濠チャリティーラン、その打ち上げで二升瓶にも行き深夜の帰宅、それがたたって寝坊した。出発準備に手間取り、出発したのは6時過ぎだった。高速を必死に飛ばして、8時ちょっと過ぎにホテルサン防府に着いた。ロビーで待っていたらピースランTシャツを着た男性が現れた。広島の新潟さんで、今日から一緒に走ることになっている。8時半過ぎに城定さんと楽松師匠が下りてきた。荷物を積み、スタート前の記念撮影をした。膝に不安はあったが、前半は城定さんが車でサポートすることになり、その間、師匠・新潟さんと一緒に走って途中で城定さんと交代することにした。
 ピースラン6日目は9:12にスタートした。天気は曇りがちで昨日より少し気温は低いようだが、湿度が高い。昨日は師匠にマイペースで走らせて快調だったとのことで、今日も前で引っ張らず後から付いていくことになった。その師匠は最初歩いて馴らし、徐々にスピードを上げるという走り方だった。防府駅前を過ぎ、住宅街の細い道を抜けるところで道を間違えたが、直ぐに正規のルートに戻った。山には分厚い雲がかかって雷が聞こえ、時折小雨も降るようになったが、本格的な雨にはならなかった。市街地を抜け、江泊へ。茶臼山近くの海が見える高台に1時間弱で到着した。城定さんと一緒に待っていたのは西村さんで、ここからしばらくサポートに加わった。トンネルを抜けて富海へと下り、国道2号線に合流すると椿峠への上りが始まる。雨も上がり、時々日も差して暑くなってきた。すれ違う車に乗った子供たちが頑張ってと声をかけてくれる。3人とも揃いのピースランTシャツを着ているので目立つのだろう。防府から11.6km、椿峠には約2時間で到着した。時速6kmのイーブンペースと、ここまではまずまず順調だった。
ピースラン6日目・1:防府〜江泊

ホテルサン防府前でスタート前の記念撮影
そろいのピースランTシャツを着る

江泊で西村さんがサポートに加わった
 
■椿峠→戸田→周南市
 椿峠に城定さんの姿が見えなかった。越田さんを迎えに行ったと西村さんに教えてもらった。椿峠からは長い下りが続く。下りきったところの戸田のコンビニに越田さんが現れた。この先、徳山西ICに城定さんが待機していたので、そこで小休止とした。だいぶ暑くなってきて、ポリタンクに入れてきた氷は早くも溶けてなくなってしまった。師匠が一足先にスタートし、しばらくして後を追う。少し距離を置いて走っていたが、JR戸田駅先のコンビニに入りアイスクリームと缶ビールを購入、ビールを飲んでいる間に師匠と新潟さんの姿が見えなくなった。しばらくして城定さんから、西の端の交差点は真っ直ぐ2号線に行かず新南陽方面への県道へと入ってくださいとTelがかかってきた。慌てて師匠達を追ったが追いつけない。まずいと思ったら、その分岐点で越田さんがちゃんと誘導してくれていた。国道から分岐したところで小休止。ここでは果物の缶詰とトマト・キュウリなどが出てきた。さすが城定さん、本当に良く気が利く。
 スタートして間もなく、師匠がマメの処置をしたいと言って立ち止まった。往路を含め500km走っている師匠の足はマメだらけだった。足裏だけでなく、踝にもできていた。城定さんにも戻ってきてもらいソルボを当てるなどマメの手当をした。その間も、凝った肩をアイシング。ようやくスタートするも、なかなかペースは上がらなかった。
ピースラン6日目・2:椿峠〜周南市若山

椿峠。雨も上がって暑くなってきた

戸田で越田さんが合流

肩を冷やす

冷たいトマトに果物が有り難かった

脚を冷やす

マメでボロボロになった足のケア
■新南陽→徳山
 14時頃新南陽に着いた。スタートして5時間が経過したが、まだ23km程度と1/3も来ていない。今日も深夜2時頃のゴールとなるのだろうか。徳山の周南市役所前を15時に通過、その先二番町の交差点を右方向・櫛ヶ浜へと進んだところで休憩。6時間で28km。
 ここから越田さんが走る方に加わった。昼頃まで薄曇りだったが、晴れてかなり暑くなってきた。建物の影を走ろうと言うことで道路右側に渡る。新幹線の高架の影もあったが、右側を走っていたら横断歩道がなく、遠石の交差点ではちょっと遠回りすることになった。その遠石で師匠も疲れのピークなのだろう、家具屋の駐車場で横になった。スタートして約30km、まだ半分も来ていないのに16時を回った。しかし焦っても仕方ない。自分も寝ようとしたが眠れず、それでもこの間、ゆっくり足を休めることができた。
ピースラン6日目・3:新南陽〜徳山

果物がよく売れた(新南陽)

徳山

疲れて一眠り(周南市遠石)
■徳山→下松→周南市熊毛地区
 一眠りしてからは少しペースも上がり、2号線を下松へと向かう。前方に西村さんの姿が見えた。地元・下松で走る方に参加された。これで走る方は総勢5人となった。櫛ヶ浜のコンビニでこの日2本目の缶ビールを飲む。
 下松に入るとだいぶ日も傾いて走りやすくなってきた。標識に広島の字を確認したのもここ下松ではなかっただろうか。国道188号線を越えたあたり、下松市南花岡で休憩。城定さんが今度はお粥を用意してくれていた。ゆっくり腹ごしらえしていたら、師匠は先に一人でスタートされた。師匠を見失わない程度に距離を置き、越田さんや西村さんと話をしながらのんびり走った。周防久保の先で垰という地名が出てきた。山口では峠(とうげ)をたおと読ませるところがある。萩往還では砂利ヶ峠。西村さんの説明に拠れば、峠ほどではないゆるい上りの頂上を指すらしい。砂利ヶ峠は十分きついと思うが。
 下松を抜け、再び周南市へ入る。JR大河内駅付近で日が沈んだ。勝間と高水のほぼ中間あたりで2号線と別れ旧道へ。その分岐点で休憩。見事な夕焼け空が広がった。時刻は19時、残りほぼ30km、このペースを維持してAM2時頃の到着になるだろうか。最初痛かった膝の調子もまずまずで、もうしばらく走ることにした。
ピースラン6日目・4:下松〜熊毛

だいぶ日が傾いてきた(下松市)

ゴールを目指し、一人黙々と走る(下松市)

ようやく中間点を過ぎたところ
周南市、JR大河内駅付近

熊毛での夕焼け
2号線から旧道に入る

手慣れたサポートと写真に余念のない城定さん
 
■熊毛地区→玖珂→岩国
 旧道に入り、高水駅前で西村さんと別れた。その先、今市で盆踊りをやっており写真を撮った。里帰りしている人も多いのだろう、庭先で賑やかにバーベキューをしている家もあった。ちょっと羨ましい。高水から米川にかけてはちょっとした峠を上る。遠くから盆踊りの太鼓の音が聞こえてきた。坂を上っていくと、今度は花火の音が聞こえてきた。峠を越えると遠くの空が花火で赤く照らし出され、島田川沿いの道に下ってくると、その花火が見えるようになった。米川小学校付近で休憩し、花火を見ながら腹ごしらえした。50kmを越えだいぶ足が痛くなってきたが、師匠を見たら痛いとか言っていられない。もうしばらく走ることにした。
 花火が終わって21時頃にスタート。高森の町中は夏祭りでごった返しており、少し迂回した。高森を抜けて、再び2号線に戻る。玖珂の先で2号線から別れ、県道15号線を欽明路トンネルへと向かう。欽明路トンネル入口で距離は60kmを越え、時間はほぼ14時間が経過、時刻は23時を過ぎていた。ここからは下りが続くが、膝の痛みに加え、股擦れも辛くなってきた。城定さんも運転ばかりできついと言うので、ここで走るのを止めて運転を交代した。
 欽明路トンネルを抜けるとあとは岩国まで10kmほど。下りが続いてペースが上がり、休憩時間も短くなった。3kmごとくらいにサポート、その移動中、気が付くと城定さんは寝ていた。車の中でなにか光るなと思ってよく見るとホタルが1匹入り込んでいた。岩国市内に入り、まずは越田さんの宿泊先、ホテルアルファーワン岩国へ向かい、そしてAM2時前にビジネスホテルマリフに到着した。近くのコンビニで食料と缶ビール・缶酎ハイを買ってきて、ホテルのロビーで簡単な打ち上げ。
 今日も一日、長かった。一日だけの併走だったが、正直疲れた、膝も股ずれも痛む。しかしホッとすることも多かった。子供達の声援、夕焼け空、盆踊り、花火、ホタル等々、走りながら出会った何でもないシーン、これも平和だからこそ。
ピースラン6日目・5:熊毛〜岩国

盆踊り(今市)

花火を見ながら腹ごしらえ(米川)

岩国まであと7.5km

ホテルのロビーで打ち上げ。さあ、あと一日
■ 平成17年8月15日 岩国〜広島、そしてピースランinKOREAへ
 シャワーを浴びて寝たのは4時過ぎだった。AM6時前に目覚ましをセットしたが、その時計が少し遅れていた。慌てて飛び起き、荷物をまとめてチェックアウト。カーナビで岩国ICを確認し、ルート案内を開始したら、到着予定は9時!。もたもたしていたら仕事に遅れる。しかし疲労と眠気には勝てず、佐波川SAで一眠りした。何とかギリギリ診察開始5分前に病院に着いた。
 途中でとみかずさんからTel。昨日の状況と今日の予定を伝えると、車を出してサポートしましょうとのことで、早速城定さんに連絡した。そして8月15日18:46、楽松師匠達は広島平和記念公園にゴールされたのだった。
 その翌日、師匠は韓国に渡り、ソウル独立公園・西大門刑務所歴史館からイムジン江自由の橋の50kmピースランを走られ、今回のピースランが終わった。

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